「思うこと」と「知ること」の違い。
人に何か忠告や注意をすると「おっしゃる通りです。私もそう思います」というから、「ああ、この人はわかってくれてるな」と安心していると、全然わかっていなかったりする。
このように、「思うこと」と「知ること」との間には大きな差があるものだ。
このことは、自分自身についてもいえることである。
私がこんなことを言い出したのは、鋭い感性と言葉の豊富さで見事な人間観察をしたイギリスの作家オスカー・ワイルドに次の言葉があるからである。
「若いときの自分は、金こそ人生でもっとも大切なものだと思っていた。
いま年をとってみると、その通りだと知った」
天才的な皮肉屋のいうことだから、よほど注意してかからなければいけないが、この言葉は「お金の大切さ」よりも「思う」と「知る」の違いを指摘していることが重要な点なのだ。
私たちは「思う」ことで、そのことを十分に理解していると思いがちだ。
例えば「お金は大切に扱わなければいけない」と思っている。
そして自分なりに大切に扱っている。一円玉を溝に落としても懸命に探して拾う。それでわかったつもりになっている。
だが、あるときお金の問題でひどい目にあって苦労をする。
サラ金から借りたはいいが、アクシデントで返せなくなり借金を膨らませ、自己破産寸前までいってやっと解決できたというような経験をして、改めてお金に関して自分の接し方を振り返ってみると、「以前は全然わかってなかったな」と気がつく。
ワイルドがいったのはそういうことだろう。
いまは情報時代だから私たちは昔の人と比べ、すごい量の情報と知識をもっている。
それで昔の人と比べ賢くなったかというと、まったくなっていない。
あらゆる事柄について「思っている」だけなのか、本当に「知った」かを点検し直してみる必要がある。
1 件のコメント:
大事なものほど失くしてみないとわからない・・
あだやオロソカニレッスン受けててはダメですね~
又そこ 笑
最近少しずつ、コーチに教えられたことが、ああ
これかぁ と知る→腑に落ちるへ
生みの苦しみだった・・・ 笑
まだまだつづく・・・
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